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NO−13「沖縄が墓でおおわれてしまう」Part-2 A氏は「沖縄には仏壇もあり墓(納骨)まで要らない」という。同感である。 B氏は「骨壷をもっと小さくして墓も小さくする」少し無理があり、これでは沖縄の自然は守れない。 ボクは10何年前に兄を失った。生前は非常に仲が悪く、生まれて初めて飲みに行ってケンカして、失意で帰宅した事を今でも鮮明に記憶している。そして、それ以来2人して盃をくみ交わしたことは一度もなかった。 親父も門中墓にお世話になっている。沖縄には長男制度が以前と残っており、親父は兄貴がどんな悪さ、所行をしても一度も怒ったためしがなかった。 だからこの親父も「父親」として尊敬はできなかった。 オバーは2人より先に納骨されているのだが、もしボクが納骨されたとして オバーに再会してもボクだと分る筈もなし。という諸事情からボクは門中墓へは絶対に入りたくない。まして、今までに3回も墓の中へ入ったこと(親戚の納骨の為)があるのだが陰気くさくて(当然である)湿っぽくて、とても極楽浄土へ向かう入り口とは思えない。 その中で再び兄弟げんか、親子げんかを繰り返すのかと思うとゾッとするし、一門の人達に生前のように多大な迷惑をかけてしまう。ボクとしては死後の世界だけは穏やかに暮らしていたい(?)と心底思っている。 早めに遺言状を作成し、「大海への散骨」を書き記しておかねばならない。(これが遺言状になる可能性だってありえる) 以上の理由にて墓へ絶対納骨してもらいたくない。 まして若い頃から「自然保護運動」に携わった人間として、沖縄中の山という山が墓で覆いつくされてしまうことは絶対にあってはならない。残った家族が毎日仏壇(位牌)に手を合わせてもらえるだけで(これからの自分の所行にかかっているのだが・・・)いいのです。 ボクは人間死んでしまえば一巻の終わり、はいこれまでよと煙となって消滅してしまい「極楽浄土の世界」が待っているとは信じていない。 墓建設の問題は非常に困難な要素「宗教的、思想的、文化的、そして個人的なグソウー観(死後の世界観)」が含まれている。 今までの門中墓は門中墓で沖縄に残してもらって結構(沖縄の文化資源として)、しかしこれからお墓を新設することだけは止めてもらいたい。行政にて早めに手を打たねば観光客は「とんでもない光景」を目にすることだろう。 ◆バックナンバー 2007-5/1.4/25.3/31.3/10.3/3.2/24.2/16.2/3.1/24 2006-1/15.1/30.2/1.2/13.2/19.3/9.3/22.12/28 |
![]() 思い(3)(2)(1) かん蹴りをしたことが あるだろうか? どこへ飛ぶのやら 何にはじかれるのやら 蹴る前 行き先 誰にもわかりっこない しかし 落ち着く先は皆同じ地面の上 だから 勇気をもって蹴っ飛ばせ ためらうことなく蹴っ飛ばせ 人生 かんから・カン 人生はかんから・カン |
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